本を読む。
その行為にも、そこから得られる知識を自身の血と、肉とするのか。
あるいは、単なる「読んだ」という体験だけに留めるのか…まあ、この場合は、読んだ知識が虚空蔵、アーカーシャに保存されるからいいんだ、的な言い分もありますよね(笑)。
実用本位、現実に即して書かれた本もあれば、
読者の空想を引き出し、縦横無尽に解釈できるような本もある。
僕と本との縁はとても深いものがあるのですが、それはまた追い追いお話させていただきます。
さて、そんな本たちのなかでも、後世まで語り継がれていくであろう本、というものがあります。
そして、60年以上経ったいまなお、その内容の有用性は色褪せてはいない。
実際に使えもするし、知識はもちろん自らを振り返るきっかけにもなる…。
『風邪の効用』 野口晴哉・著。
この本に出会ったのは、ちくま文庫として発刊されるずっと以前。
僕が身体均整法に出会って間もなくの頃です。
当時、東京の中央線沿線、西荻窪に住んでいました。
中央線というのは、東京ではけっこう特殊なポジション、山手線のど真ん中を突っ切るようなラインなんですよね。
まあ、昔「中央線の呪い」なんてサブカルチャー的な本も出たりしたんですが…ごく大雑把にいえば、ディープな沿線でした。
その西荻(住人は親しみを込めて「ニシオギ」と呼びます)の、ディープさを演出するコアのひとつともいえる無農薬野菜の八百屋さん、そしてそのビルの飲食店、その上の本屋さん・・・そこで出会ったのが『風邪の効用』でした。
「風邪は誰もひくし、またいつもある。夏でも冬でも秋でも春でもどこかで誰かひいている。他の病気のように季節があったり稀にしかないのと違って年中ある。しかし稀に風邪を引かない人もいる。本当に丈夫でその生活が体に適っているか、そうでなければ適応感受性が鈍っているのであって、後者の場合、ガンとか脳溢血とか、また心臓障害などになる傾向の人に多い。無病だと威張っていたらポックリ重い病気にやられてしまったという人が風邪に鈍い」
(『風邪の効用』 序 より)
「私は体を正す方を主にするのだから、病気を治すために体を悪くするような事は嫌だと思っている。たとえば瘭疽(ひょうそ)などは指を切ってこれで治ったというのですけれども、切った指は永久にそのまま歪んだ形をしている。そういうのは治ったではなくて、瘭疽の他にもう一つ、治療と称して体を傷つけたのだと私は思うのです。そういうのは本当の治療ではない。」
「まあ風邪とか下痢とかというのは、我々の考えた中では一番体を保つのに重要というよりは、軽いうちに何度もやると丈夫になる体の働きであり、風邪と下痢の処理ということが無理なく行われるか行われないかという事が、その体を健康で新しいままに保つか、どこかを硬張らせ、弾力を欠いた体にしてしまうかという事の境になる。」
(『風邪の効用』より)
ちょうど先日、政府が、何の特徴もないただの風邪を「5類」として感染症認定する、と発表がありました。
まあ、
ここにも書いたように風邪は誰しも引くもの、だから、こういうことに利用しやすいのはわかるが、まさか本当に風邪を感染症として認定するなどという愚行が行われる日が来るとは…
もし、野口先生が生きておられたら、何と言うだろう。
その独特の、ヒネリの利いた皮肉を、聞いてみたいものだ。