1年数ヶ月前になりますが、このような記事を外部ブログに挙げました。
肘や膝、またそのほかの関節に、何かしらの症状や問題が生じる方が増えるだろう…概ねそのような内容です。
人間の体を構造物的な見地からみれば、骨格があり、それを土台として筋肉、靭帯、腱などの結合組織がそれを支え、内部には肝臓、腎臓、腸などの内臓諸器官が内臓され、脳が全身を統括統御する…というような造りになっています。
全身は神経系によって結ばれ、血管系によって栄養が全身に運ばれ、新陳代謝によってその命が瞬間ごとに繋がれていきます。
とはいえ構造物なので、これらのルートで通過しやすい部位、しにくい部位というのが当然あります。
たとえば腋窩(肩関節)だったり、股関節だったり、そういった屈伸が必要な部位というのは通過するのに他よりもエネルギーが必要な部位だったりします。
いわゆる四十肩、五十肩などは、肩という重要なルートで肩関節及びその周囲の筋腱を固めて、脳の血流を保護、促進、あるいは弱めるなどして血管の損傷を防いだりなどの意味合いがあります。
痛いし動かないし…と不便な面ばかりに目が行きがちですが、ある一つの症状が起きるということは、体にとっては必ず何らかの意味があって起こしていることです。
気持ち的には不都合であっても、そうやって自身を護る、命を繋いでいくのが体の役目。
よくいわれるように、そういう時こそ体の声を聴いてみる機会です。
そして、
ここ最近増えているであろう身体症状が“ぎっくり腰”。
まあ、部位的には関節というイメージはないかもしれませんが、発生する機序からいえば、上記肘や膝、肩などと変わりはありません。
人間は、体のことでも心のことでも、最終的に頑張ったり踏ん張ったりするのは腰でします。
一昔前、さらにはそのもっと前に“ぎっくり腰”というと、そういう頑張ってきた、踏ん張ってきた方の身に起きる身体症状…という意味合いが強かったような記憶があります。
まあ、僕が施術者としてデビューした1990年代後半には、すでに医学的に「◯番がズレて…」「椎間板が削れて…」といわれて手術する、という方は多かったですね。
手術して、その予後が悪いからなんとかして欲しい…そういう依頼も、多かった。
僕からいえることは、
カンタンに手術などするもんじゃない、ということです。
一度でも組織にメスが入ると、極端に弱くなりますし。
それに、たとえ椎間板が摩耗していようが削れていようが、悲嘆に暮れる必要はないです。
何かのキッカケでそこに痛みが起きたとしても、その摩耗や削れが根本原因だと思う必要はどこにもありません。
それまでの長い間、何年何十年もその状態でずっと何事もなく生きてきた、のかもしれないのだから。
実際には、腹部内臓諸器官、肝臓、腎臓、心臓など複数の要因を考慮し、その発生ルートを突き止めていく。
精神的な要因がかなり深く関わっていることもあります。
一気に無くしたい…その気持ちもわかりますが、メリットの反対側のリスクにも、気を配る必要はあるでしょう。
体は、一つしかないのですから。