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ある方にとっては、整体してくれる、体を楽にしてくれる人…
ある方にとっては、心を楽に、生きやすくしてくれる人…
ある方にとっては、清祓いなど、神主資格を持つ人…
etc…

必要に迫られ多種多様な動き方、アプローチをできるように努めてきました。
その結果、「あの人はどういう人なの?」という問いに、私に近しい方々が私のことを何と紹介すればいいか返答に困るという、妙な事態が起きていたりします(笑)。

やっていることに共通しているのは、何かのご相談、ご依頼に応える、というところ。
そして、もう一つ。
健康と不健康、歪体と整体、神と人、エゴと本質…などなどの「間をとりもつ」、というところなんですが…ここがわかりづらいところ。

ちなみに、「健康にする」とか「治す」とか「解決する」というのは、私の仕事ではありません。
健康になるのはその方ですし、治るのはその方の自然治癒力あってこそ、解決に至っては、そもそも問題は存在しないものをわざわざ拵えるもの…という考え方をしています。

ですので、最近は「mediator(メディエイター)」と名乗っています。
調停者、みたいな意味ですね。

以下、つらつらと思うままに書いています。
気楽に、ご興味あれば読んでみてください。

横浜・馬車道

人間の背中、特に背骨というのは、たくさんの情報を発している。
そもそも体が強いのか弱いのか、その時々の体調、機嫌、五臓六腑それぞれの状態のよしあし、気分が焦っているか落ち込んでいるか、果ては明日の息子の運動会の雑事への心配事…などまで、眼や皮膚感覚、主には指先で背骨一つ一つの表情を読み取り、人間の多種多彩な「素」の表情が眺められることが何より興味深く、気づいたら27年、仕事としてやってきた。

医療ではなんともならないような病症を抱えた人が、いつの間にか治っていたりする。
そういう方を見たり聞いたり、テレビに出てるような有名人でも、そういう人が時折いる。
朧げながらそうした人、そうした場所、そうした技術があるのだろうことは知っていたし、そういう人に出会いたいな…漠然と思ってもいたが、よもや自分がそうした技術を習得することになるとは、人生とは数奇なものだと思う。

そうした、表では決して賞賛されない、いわば「裏の技術」。
かつて専門誌にて「日本の整体のひとつの極点」とまで評された身体均整法、そして、同時代に並び賞賛されていた野口整体、操体…日本的な呼吸や間などを勘所とした技術を初期に学んだことで、海外から流入されるさまざまなヒーリング、セラピーなどの特徴や長所も把握できるようになったし、その汎用性にも目がいくようになった。

日本には、素晴らしい先生、熱心な先生がたくさんいる。
何かあった時に、見た目の派手さやイメージにごまかされることなく、「裏の技術」をしっかりと習得した先生を探すようにしたらいい…きっといい先生、あなたにピッタリくる先生が見つかるはずだ。
もちろん、ボクもその一人だけれど。

心の面でも同様に。
最近はすぐに薬を頼る傾向があるけれど、精神系の薬については、キチンといろいろ調べた方がいい。
どうしても使いたい、というのなら止めはしない…けれど、その先に何があるのか、その薬で自分は本当によくなっていけるのか、ちゃんと検討してみよう。

海外でほぼ100%、という脅威の治癒率を誇るような技法も、日本ではさほど評判にならない。
なぜだろう…と考えてみると、ボクには一つの仮説が浮かんだ。
日本人の心の中身というのは、日本以外の国の方々とは「構造」が違うんだな、と。

その「構造」については膨大になるからここでは割愛するけれど、
ともかく、真っ正直なストレートなやり方では、日本人の心には対応できない。
日本人の心にピッタリくる技法は、日本人でないと創れない…そう思って出来上がったのが、いま『コア・セッション』と呼んでいるセッションで使っている技法。

たとえば、「情緒」、というと、ピンとくる人は少ないかもしれない。
「もののあはれ」、というと、古典…くらいにしか思えないかもしれない。
けれど、ここに日本人的な精神性の、そのヒントが眠っている。

そして何より、ボクたちの祖先はずっと、神仏と共に生きてきた。
ボクは神主さん、神職資格を有しているのでよりわかるのだけれど、日本中くまなくどこにでも神社があるし、お寺もたくさんある。
何かあると「お天道さんが見てる」といい、地域の祭りは昔から継承されている地域はまだまだある。
そんな環境の中で、日本人的な感性、「悪いことしたら神さんが見てる」は養われてきた。
こういう精神性、海外の方々が、心底理解できると思うだろうか?

まあ、最近ではずいぶん画一化されてきてはいるけれど、日本的な深層心理はかなり独特なまま。
「私」「私らしく」…こういう概念も、実は輸入物。
その地域の共同体、コミュニティの中での「私」であって、欧米的な個を主張する「私」ではなかった。
「愛」、という言葉も、かつてはまったく違った意味合いだった…どちらかといえば「愛欲」みたいな使われ方をしていたという。

そんな日本人だから、たとえば筋肉を緩める技術、内臓の活力を高める技術なども、独特のものがある。
テンプレート的な技法の中に呼吸、間、度合、程度などを見極め、一人一人の「ちょうどよい」を引き出していく。
緊張と弛緩を巧みに使い分け、一人一人のほどよい塩梅(あんばい)にてアプローチしていく。

手加減、匙加減といった加減、具合の妙味。
これって、いまを生きる方々にはすでに伝わりづらいものとなってしまったようだ。
けれど、日本的な技術の精髄、無形の宝は、こうしたところにこそ遺されている。
たとえば病症であっても、「治る⇆治らない」という二項対立的な価値観ではなく、その間(あいだ)のほどよさに目を向けていくことができれば、ずいぶんと違ったものとなる。

本日はご縁をいただき、誠にありがとうございます。
概ねこんな感じで、ご縁いただいた方々の身と心に、誠意を持って触れさせていただいております。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


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